梅部
信念と向き合い続けること。
これが「梅部」の仕事だと、私たちは考えています。
私たちの梅づくりは、丁寧に手をかけてつくる製法や
梅づくりの拠点など、
人の縁をきっかけに、継承するかたちで進めてきました。
それは、日本人の梅干し離れが進んだことで
日本古来のスーパーフードである梅干しが
このままでは失われてしまうかもしれないと考えたからです。
だから、私たちは梅を通じてさまざまなことを
届けるために大量生産のしづらい製法であっても、
梅本来の魅力を最大限引き出し、ひとつひとつの梅に
真摯に向き合う梅づくりを行っています。
多くの方々に、この美味しさを届けていきたいと
考えています。
こだわりの梅
私たちの梅づくりは、
梅、水、塩、しそと、素材それぞれにこだわりを
尽くしています。
そして、特徴的なのが塩にくわえて
梅酢で漬け込む製法です。
塩だけで漬け込むよりも
高い栄養価、美味しさを
実現しています。
ひとつひとつ手作業で選びぬき、
最適なものは梅干しに、
つぶれてしまったものは練り梅にするなど、
丁寧につくる梅干しをはじめとした、
梅製品の製造・販売を行っています。
日本最古の医学書に「三毒を断つ」と記されている梅。はるか昔から薬として重宝され、日本人を支えてきた栄養食です。
「三毒」とは、水毒・食毒・血毒の三つを指すといわれたり、より具体的に水あたり・食中毒・血液の汚れを防ぐことを意味するといわれたりしますが、「梅はその日の難逃れ」という言葉が残るほど、梅干しはこの日本において民間療法にさかんに用いられてきました。
お弁当のごはんの真ん中に、梅干しがぽんと置かれている光景は、日本人なら一度は見たことがあるでしょう。美味しいから、というのはもちろんですが、なにより食中毒予防のための先人の知恵だったのです。
しかし、それだけではありません。
インフルエンザウイルスなどの感染症に対しての予防効果が認められたり、免疫力を高める、血液をサラサラにする、クエン酸が疲労回復に効く、便秘予防によい、肥満に効果的など…。民間療法に多用された実績を後から確かめていくかのように、梅干しがどれほど素晴らしい食べものであるかが、日本の近代化に伴って科学的に証明されてきました。
こんな逸話をご存知でしょうか。
江戸時代、いまでいう電話や郵便の役割を果たしたのは飛脚と呼ばれるひとたちでした。彼らはなんと東京と京都の間の約500kmを3〜4日で走り抜いたといいます。しかも驚くことに、その食事は玄米と梅干しをはじめとした、たいへんに質素なものでした。
時代は進み、明治を迎えた日本を訪れていたドイツ人医師は、その時代の人力車をひく車夫の体力に驚愕します。馬を6回は乗り換えねばならない距離を、馬とそれほど変わらない速さで進んだからです。しかも、食事は江戸時代の飛脚同様に、玄米に味噌、豆、野菜を中心とした簡素なもの。肉食の欧米人からすれば、その過酷な労働と不釣り合いな食べものが信じられなかったのです。
すぐさま二人の車夫に対し、片方にはこれまで同様の食事を、もう片方には欧米人のようにバターや牛乳、肉などをとらせ、比較実験をすることにしました。二週間たったころ、肉食をとり続けていた車夫が懇願します。「もとの食事に戻してほしい、でないと走れなくなってしまう」と。このことからそのドイツ人医師は、ドイツの栄養学が万能ではないこと、そして、日本人には日本の食事がもっとも適していることを確認したのだそうです。
そう、日本人の食事に、お米は欠かせないものです。そして、そこに梅干しと味噌汁がある。わたしたちは食事にも、帰ってくる場所、"home"があると考えます。あたたかいご飯と梅干し、お味噌汁こそが、日本人の食生活における"home"なのではないかと。
西洋化した食事は、日本に新しい価値観をたくさんもたらしました。街を歩けば、これから食べるものを迷うほど、無数の選択肢が並んでいます。
写真映えのする、流行りのスイーツ。きらびやかな、無国籍のディナー。コスパのよい、食べ放題メニュー。世界一食にうるさい国民性は、海を渡ってきた料理を日本風にとりいれ、さまざまな形で完成させてきたといっていいかもしれません。
そんな時代にあって、もう一度ちゃんとした"home"を打ち立てたい。文化として、日本人に適したスーパーフードとして、ご飯の名脇役として、ずっとずっと先の時代まで、本物を伝えていきたい。
一日一粒の梅干しが、これからも日本人の健康を支えていってくれることを、願ってやみません。
屋号「はなのえ」を掲げて
活動しています。